「開かれた耳」をつくるには
福田光子
多くの音を感じることができる「開かれた耳」は子どものころの多くの経験の中で形成され ると考えます。
保育者がねらいを持った環境構成をすることによって、子どもたちは遊びの 中で雨や、風、木々の揺れる音、川のせせらぎ、などに気づける「開かれた耳」を持てるの です。そして、「開かれた耳」によって感性は豊かになります。
感性が豊かになるとそれに 伴って「音」と言う素材は表現の領域だけにとどまらなくなります。 確かに「音」を言葉や身体で表すことは表現の領域です。しかし、友達と一緒に「音」を通 して活動すると、人間関係へ。必要な言葉を使うと言葉の領域へ。
子どもたちにとって、その広がりは私たちが考えている以上に無限です。 そして、保育でのリトミックの活動は、より「開かれた耳」を作り、多くの活動がスムーズ に行えるための方法を学ぶものです。
きっと今までのリトミックのイメージと違うことに 驚かれるでしょう。 もちろん私の行っているリトミックはダルクローズ教育法であり、本物のリトミックです。 リトミックを考案したダルクローズは、生前、リトミックは方法であって結果ではないと言っていました。
その意味は、そこにいる人のためにリトミックは行われるもので、目的によって内容を変化 させなくてはならないと言うことです。
つまり、保育の中で、子どもたちにとって、何が必要で大切かを考え、そのクラスのねらい に沿ったリトミックを行う、ということです。 そして、リトミックは音楽を使います。音楽を使うことは情緒に直接的に働きかけます。
情緒の発達に音楽が有益なことは言うまでもありません。 リトミックは音楽を使って「聴く」ことを重視しています。「聴く」ことによっての気づき は「開かれた耳」へとつながっていきます。 また、リトミックでは「開かれた耳」によって聴こえた、音や音楽を視覚化、言語化し、見 えない音を表現します。1 人で、数人で、全員で。そこには多くの学びがともないます。
主体的な保育を考えたとき、リトミックは合わないな、と考えている園が多いようです。
それは多くの園で行われているリトミックは専門性が高く、リトミックがゴールになってし まっていることが多いからです。 また、指導者によってはリトミックが訓練のようになっている場合もあります。
「できるだけ早く近くの人とグループをつくる」
とした時の目的が
「できるだけ早く」
だと したら、そこに含まれるのは協力でなければなりません。誤った解釈の場合、
「何秒でできるか」
が目的になってしまいます。保育には訓練のような保育内容は必要ありません。
子どもたちが自ら考え、どのようにしたら早くグループが作れるか、経験を通して学ぶ必要があるのです。そのためには、子どもたちの言葉に、共感、応援、挑戦が生まれるように環境を 設定していく必要があります。
そして、1 秒でも早くグループを作る事は結果であって、目 的になってはいけないのです。 また、保育現場で行われるリトミックは園の理念や、方針をふまえたうえで、そのクラスに とって有意義な活動ができるように計画する必要があります。 このようにリトミックには多くの目的が存在します。保育内容に合うことはもちろん大切 ですが、リトミックで養われる感性は一生の宝物です。リトミックを通して感性豊かな人生 を送れることを約束します
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